信長の鉄甲船は全部鉄でできていた?「鉄ノ船」の記録と現代の模型実験を分けよう

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信長の鉄甲船と聞くと、黒い大きな軍船を思い浮かべるかもしれないね。そこから「鉄をそんなに使って、沈まなかったの?」と気になったら、いいところに目が向いています。ただ、調べ始める前に一つだけ。「鉄甲船」と、船全体を鉄だけで作った船を、同じ意味にしないでおこう。

今回確認した記録や研究では、船を鉄で保護する話と、船の形・重さを条件にして安定性を調べる話が出てきます。現代の模型が実験に使われたことも、その姿のまま信長の船が存在したと確定したこととは別です。

先に結論を言えば、鉄の使用を伝える記録はあります。でも、その短い記述だけで、外観、厚さ、重さ、乗員の配置まで全部が分かるわけではありません。そこにどんな復元案を置いたのかも、一緒に見たいんです。

この記事では、『多聞院日記』の記事を扱う研究、船舶工学の模型研究、九鬼嘉隆についての自治体案内を手掛かりに、分かることと、仮定して調べたことを整理します。模型を自分で製作したり、原史料を独自に解読したりした記事ではありません。

目次

「鉄ノ船也」と書かれていても、そこから全鉄製の船体には飛ばない

まず見たいのは、『多聞院日記』の天正6年7月20日の記事です。水野正好さんの論文「天正六年七月廿日『多聞院日記』の中の一日―話題の背景」は、その日に記された大船の情報を取り上げています。奈良大学リポジトリで公開されています。

そこには、伊勢から堺浦へ大船が来たことや、「鉄ノ船也」という言葉、鉄砲の弾が通らないように用意したという趣旨の記述が引用されています。何も記録がないところへ、後世の人が鉄という言葉を付けただけ、という話ではありません。

でも、ここから「船底も骨組みもすべて鉄製だった」とまでは進めないでね。材料をどこにどう使ったかという説明を、船を呼ぶ一言だけで全部埋めることはできないからです。

水野さんは、ほかの史料に見える鉄片・鉄葉による保護も参照して、外側を鉄で保護した大船として考察しています。これは、記録の言葉から船の構造を考える研究上の読み方です。船全体を一つの鉄の塊として考えているわけではありません。

たとえば展示の説明に「鉄で覆う」と書かれていたら、次に知りたいのは、覆う場所です。水面より上なのか、屋形の周囲なのか、どこまでを想定したのか。その情報がないまま頭の中で全部を鉄へ置き換えると、最初とは別の設計を考えてしまいます。

「鉄なんだから沈むはず」と言う前にも、「鉄があれば燃えないから無敵」と言う前にも、同じ確認が必要なんだね。船の一部に鉄を使うことと、どの攻撃にも耐えることも、当然同じではありません。今回の記録から、あらゆる性能をまとめて保証するような読み方はしません。

歴史を読むメモなら、「記録にある言葉」と「その言葉から自分が想像した姿」を別に書いてみてください。上段に短い表現、下段に疑問。すべてをすぐ結論にしなくても、次に調べる場所が見えます。

この先、造船を担った九鬼氏の背景も読みたいなら、豊田祥三さんの『九鬼嘉隆と九鬼水軍』が学習候補です。鳥羽市が基本参考文献として挙げる本で、出版社の公開目次に信長と嘉隆を扱う章があります。書籍本文を全ページ読んだ紹介ではありません。

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奈良で記された日記。「記録がある」と「本人が船を見た」を分けよう

『多聞院日記』は、興福寺の多聞院に関わる日記です。水野さんの研究が取り上げる英俊のいる場所と、船が到着した堺は、同じ場所ではありません。論文では、大船団が堺へ着いたという噂が英俊へ届いた、と捉えられています。

あ、日記にあるから、目の前の船を見ながら書いたとは限らないんだね。

この違いは、記録を無価値にするための話ではありません。どんな情報が、どこへ、どう伝わって記されたのかを見るための区別です。届いた話にも、当時どんな出来事が注目されたかを考える材料があります。一方で、設計図のように細部まで確定できる資料として扱うには、別の確認が必要になります。

船を調べるとき、「その大船についての話が当時伝わっていたか」と、「寸法や人数が実測値として確認できるか」は、別の問いになります。最初の問いに役立つ記録が見つかっても、それだけで次の問いも解決したと考えないでおこう。

人数の記述も、その一つです。日記には5,000人ほどが乗るという趣旨の言葉があります。ただ、これを現代の乗船定員として、そのまま一隻に印刷するのは急ぎすぎです。後で見る船舶工学の研究でも、その人数をどう受け取るかについて、船団全体の合計と考える意見が紹介されています。

その意見があることと、当日の全船の乗員名簿を確認できたことは違います。今回の記事では、一隻の確定定員や、実際に乗っていた人数として数字を採用しません。短い記述の読み方に検討が必要だ、と受け止める範囲です。

さらに、史料の名前を一つにまとめないことも大切。水野さんの論文は、日記以外の記録も並べて読んでいます。「何かの信長の本にあった」でメモを止めると、どの記録が何を語っていたかが後で分からなくなります。

調べながら書くなら、史料名、該当する年月日、どこまで読んだかを残そう。現代の研究者の説明を読んだのなら、その著者と論文名も別に書きます。古文の引用と、その意味についての現代の考察を、一つの発言のように混ぜないためです。

検索結果の日付にも、ちょっと注意。論文の発行年と、インターネット上で公開された年が違う場合があります。新しく見つけたページだから新説、と受け取らず、まず書誌の発行年を見てね。

信長だけを主人公にして眺めていると、建造を担う側や海上の集団が背景へ退いてしまうことがあります。九鬼氏の通史を読むなら、船が一隻あるかないかだけでなく、どのような勢力が船と関わったのかへ問いを広げられます。ただし、未読の本の結論を代わりに答えた紹介にはしません。

信長と九鬼嘉隆の関係も扱う、九鬼水軍の通史を確認する

模型研究の「復原性」は、想定した船が傾いて戻る性質を調べる話

鉄甲船を検索して、実験用の模型の写真を見たことがあるかもしれません。今回読んだのは、2021年の「信長の鉄甲船の復原性と波浪中横揺れ特性」という研究報告です。日本船舶海洋工学会の論文情報からPDFを読めます。

題名にある復原性は、船が傾いたときに元の姿勢へ戻ろうとする性質に関わる言葉です。歴史上の姿を元通りに描けた、という意味だけで読むと、研究の問いを取り違えてしまいます。

報告の冒頭は、資料をもとに想像上の鉄甲船を設計し、計算や縮尺模型で調べる研究だと説明しています。図にも仮想・想像上という位置付けがあります。つまり、研究者が置いた船の形や重さの条件が、検討の出発点になっています。

ここ、実験の写真があることに驚いたまま、飛ばしたくないところ! 目に見える模型があるからこそ、何を仮定して作ったのかも見ておきたいんです。

たとえば「この形ならどのように傾くか」という問いと、「当時の船がこの形だったか」という問いは、答えを得る方法が違います。前者では、形や重さを決めて計算や実験ができます。後者では、その形を歴史的に裏付ける資料も必要になります。一つの実験が、両方へ同じ答えを出すとは限りません。

今回の研究では、鉄板や重心などの条件を変え、想定した船の安定性を考えています。ただ浮いている写真を撮るだけの実験ではなく、横から波を受けたときの揺れも扱っています。模型が水上にあるという一枚の写真だけでは、何を比べた研究なのかまでは分からないんだね。

また、重さは合計だけ見ればよい、という考え方でもありません。報告では、重心の高さや重さの分布といった条件も扱っています。詳しい式を追わない読者でも、図の見た目に加えて、どんな条件を変えたのかを確かめる読み方はできます。

このページでは、模型の図面を転載したり、計算をやり直したりはしていません。一般的な造船の知識を使って、数値のない架空の船を安全に設計できると案内するものでもありません。紹介する範囲は、研究がどんな問いを置き、そのために模型を用いたのか、という入口です。

歴史の側から背景を補う本としては、『九鬼嘉隆と九鬼水軍』を候補にできます。ただし、この書籍を2021年の水槽試験の実験手順書として売る紹介ではありません。造船や船を担う人々を歴史の中で読みたいのか、模型の工学的な数式を読みたいのかで、参照する資料を選び分けてね。

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揺れを確かめた実験から、海戦での「無敵」までは証明できない

模型の結果を見ると、「それなら海戦でも圧倒的に強かった?」と、次が気になるかもしれません。ただ、今回の報告が調べた揺れの特性を、そのまま、戦場でのすべての性能へ広げることはできません。

横波を受けた揺れを調べることと、火器で攻撃したときの損傷、速さ、指揮、戦場での行動を調べることは、それぞれ別の検証です。この記事で読んだ実験を、実船の砲撃試験を行った証拠として紹介することもありません。

研究の結論では、揺れの計算結果と模型の計測結果に差があり、その扱いを検討しています。実験の意味は、何もかも最初の計算通りだったと認めることにあるわけではないんです。仮定した条件でどんな違いが出るかを確かめ、説明を考えていく材料になります。

だから「模型を作った」という一言より、「何のための模型で、何を測ったか」を一緒に残したい。復元イラスト、展示模型、試験水槽に入れる模型は、見た目が似ていても目的が同じとは限らないからです。

もし、動画や写真を見てメモを作るなら、「作られた年」「制作の目的」「参考にした資料」「分かったこと」の4欄に分けてみてください。外観についての復元案なのか、特定の性能を調べる試験なのかが見えます。分からない欄は、推測で埋めずに質問として残せます。

もう一つ、当時の姿の候補が複数あることと、研究が何の役にも立たないことも同じではありません。仮定を明示した案なら、どこが資料によって変わり、どこが実験の条件なのかを比べられます。むしろ、完成した絵だけを唯一の正解として覚えるより、読み方が具体的になるんです。

「鉄甲船は実在した?」「全体が鉄だった?」「この復元案は安定する?」「海戦でどう働いた?」。似た話に見えても、四つは同じ問いではありません。調べている途中で答えが食い違ったように感じたら、まず質問の方を並べてみよう。別のことへ答えている資料を、一つの勝ち負けにしなくて済みます。

九鬼氏を学ぶ書籍も、見た目の復元図だけを求めるためでなく、政治や海上の動きの中へ船を戻して読む候補として選んでください。出版社の公開目次では、信長期だけでなく豊臣政権下や、その後の九鬼氏も扱います。信長の時代の船と、後の船を同じものと決める前にも、時期を確認したいね。

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次に読む本は、九鬼氏の通史。復元図の答え合わせだけを求めなくていい

鳥羽市の九鬼嘉隆案内は、志摩の一勢力だった九鬼氏が、信長や秀吉のもとで水軍として活動し、大名となった経過を紹介しています。信長のアイデアを形にする無名の脇役、という見方だけで済ませず、九鬼氏側の歩みから読む入口になります。

参考文献として挙げられているのが、豊田祥三著『九鬼嘉隆と九鬼水軍――戦国最強を誇った水軍大将の興亡』です。戎光祥出版の中世武士選書48で、ISBNは9784864034814。出版社の商品案内と楽天のbookfan掲載で、書名、著者、出版社、ISBNを照合しました。

公開目次には、中世志摩、嘉隆の登場、信長と嘉隆、豊臣政権下、家督継承、鳥羽城、捕鯨などの範囲があります。鉄甲船の形を一枚見るだけでなく、船を動かす人と地域の関係も読みたい人に、内容を確認して選んでほしい本です。

ただし、ここで確かめたのは書誌と公開紹介・目次です。本文を読み終えた感想でも、鉄板の厚さを一つに確定する結論が必ず載るという保証でもありません。購入する場合は、現在の販売条件と、読みたい形式を販売ページで見てください。

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鉄の船なら沈むんじゃない? その疑問から始まったら、次は「どこへ鉄を使った船を考えている?」と聞き直せます。そこで復元案が見つかったら、「この案は、何を確かめるために作った?」へ。

知らない部分が残るのは、調べ方が失敗したということではありません。日記の一言と、研究者の案と、測った結果が分かれてきたなら、最初より具体的に船を見ています。黒くて大きい、で終わらない鉄甲船の面白さを、そこからもう少し追いかけてみよう。

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この記事を書いた人

織田信長の生涯、人物像、ゆかりの地を、史料や諸説に目を向けながらたどります。

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