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織田信長から上杉謙信への贈り物が、京都を描いた大きな屏風だった。
そう聞くと、「信長が謙信のために描かせた絵なんだね」と思いたくなるかもしれません。ところが、贈った人が分かることと、最初に注文した人が分かることは同じではないんです。
今回見るのは、米沢市上杉博物館が所蔵する国宝「上杉本洛中洛外図屏風」。同館は、天正2年、1574年に信長から謙信へ贈られたと伝わる、狩野永徳の作品として紹介しています。
そして米沢市の2021年の広報では、制作を命じたのは足利義輝と考えられる、と説明されています。
えっ、ここに将軍も出てくるの?
そこを分けると、この屏風が急に面白くなります。信長と謙信の関係だけでなく、描かれた京都、暮らす人々、今まで守られてきた時間も見えてくる。合戦の年号とは少し違う入口から、一組の屏風を読んでみよう。
「信長が贈った」と「信長が注文した」を、いったん分けてみよう
最初に名前と役割を置きます。似た説明を続けて読むと、気付かないうちに全部が一つの出来事になりやすいからね。
| 確かめたいこと | 今回の公式資料が示す内容 |
|---|---|
| 何という作品か | 上杉本洛中洛外図屏風 |
| 誰の作品か | 狩野永徳 |
| 誰から誰へ贈られたか | 信長から謙信へ贈られたと伝わる |
| 贈答の時期 | 天正2年、1574年と伝わる |
| 最初の注文主は誰か | 市の2021年広報は足利義輝と考える説明を紹介 |
米沢市の『広報よねざわ』2021年5月1日号、21ページの文化財紹介は、信長が永徳に描かせたものとはせず、室町幕府第13代将軍・足利義輝が制作を命じたと考えられる、と述べています。
この紹介では、永禄8年、1565年5月に義輝が亡くなり、同年9月に永徳が完成させ、その後の経緯は不明ながら信長の手へ渡った、という筋が説明されています。
ここで残しておきたい言葉は、「考えられている」と「経緯は不明」です。
年号が並ぶと、ついその間も滑らかな物語で埋めたくなるけれど、公式解説が分からないとする部分に、引き渡しの場面や信長の台詞を足す必要はありません。この記事でも、どこを通って信長の手元へ来たかを確定した話にはしません。
また、制作の説明に出てくる1565年と、贈答に出てくる1574年は、何が起きた年かが違います。数字だけを覚えて「どちらが正しい制作年?」と比べると、混乱してしまうよね。前者はこの広報で紹介された制作の筋、後者は謙信への贈答の伝来です。
この読み分けだけでも、「信長が贈ったのだから、絵にある建物は全部信長の政治構想を描いたものだ」と一足飛びに考えずに済みます。作品が作られた背景と、のちに贈られた背景は、別に調べる問いとして残ります。
信長の記事なのに将軍の話へ寄り道? いや、この役割が分かると、信長が手にしたものを、最初から信長だけのためにあったものと見なくてよくなるんです。贈り物の歴史には、そこへ来るまでの時間もあるんだね。
上杉本そのものを本で追う候補には、小澤弘・川嶋将生による『図説〈上杉本〉洛中洛外図屏風を見る』があります。出版社の紹介と書誌、実在する中古販売ページを照合した読書候補です。
洛中は市中、洛外は郊外。京都の「ある一日」を撮った絵ではないよ
題名が長いと、文字だけでちょっと身構えるよね。まず「洛中洛外」をほどこう。
博物館の説明では、洛中は京都の市中、洛外は郊外。そこへ四季の風景や、人々の生活風俗を描き込んだものが洛中洛外図です。
ということは、市街地の地図一枚だけではない。季節も、人の営みも、一緒に入っているんだね。
上杉博物館の所蔵品データベースは、右隻には下京・東山方面を西から見渡し、左隻には上京・西山方面を東から望む構図として説明しています。一つの地点に立って同じ方向を眺めた景色、と決め付けないところが入口です。
しかも、描かれているのは一つの季節だけではありません。データベースは、お正月、桜、祇園祭、川遊び、紅葉狩り、年越しの準備などを挙げています。
一日の京都を写真に収めたような絵だと思うと、「桜のそばに別の季節があるのはなぜ?」となりそうでしょう。けれど、四季を含めた画面として見るなら、隣り合う場面を同じ日の出来事だとそろえる必要がなくなります。
地図の正確さを試すだけでなく、どの風景とどの風景を一組の屏風の中へ置いたのか、という問いが生まれます。
米沢市の2021年の広報は、左隻の「公方様」「細川殿」の邸宅と、右隻の「内裏」の配置を挙げ、義輝が理想とした幕府の政治体制を描いたという説明をしています。ここは同市が紹介する読み方として受け取り、すべての研究者が同じ制作意図で一致している、と広げないでおきます。
実際に図版を開くときも、建物の名前を一度に全部覚えなくていいよ。まず左右のどちらに何があると解説されているかを見る。次に季節の場面へ目を移す。名前を覚える作業と、画面の組み合わせを見る作業を分けると、細かさに圧倒されにくくなります。
ただし、人物の服や行列を見て、自分だけで実在の誰かと決めるのは慎重に。広報が「謙信の姿とも言われている」と紹介する行列も、見た目から本人だと断定する説明へは変えません。描かれているものと、それをどう特定するかの解釈を、ここでも分けたいね。
六曲一双って何枚?「右隻第二扇」の位置が分かると、解説についていける
作品の説明を読んでいて、「右隻」「左隻」「第二扇」が続くと、もうどこを指しているのやら……となるかもしれません。
でも、数え方を先に一度置くと、そこはずっと楽になります。
博物館の屏風豆知識によると、左右一組の屏風を一双とし、左右それぞれを左隻・右隻と呼びます。六曲では、一つの隻に六つの面があり、その面を一扇、二扇と数えます。各隻は右から数える、という案内です。
六曲一双なら、六つの面を持つ屏風が二つで一組。六枚の独立した掛け軸が並んでいる、という意味ではありません。
ここ、名前だけの話に見えて、図版を探すときに効くんです。
たとえば解説に「右隻第二扇」とあったとするね。これは位置の説明用の例です。まず一組のうち右側の屏風を選ぶ。その屏風の右から二つ目の面を探す。十二面全体を左から数え始めるより、目印へたどり着きやすくなります。
小さな図版しかないときは、先に左右をメモし、一面ずつ数える。それから拡大図の表記と合わせる。人物や建物の名称を探す前に、位置がそろっているかを確認できます。
所蔵品データベースを読むときも、資料名の末尾にある「右隻」を見てください。員数は一隻と記録されています。作品名だけを見て、そこに掲載された情報が左右両方を合わせた一組全体の説明だと思わない。図版の位置を探すときと同じく、どの範囲の記録なのかを確かめます。
大きな作品を小さな画面で眺めるのだから、一度にすべてが読めなくても不思議ではないよね。全体の配置を見る図と、細部を見る図は役割が違います。全体図だけで人物の表情まで読もうと頑張らず、解説の位置表示を使って範囲を狭めよう。
それから、屏風は立てて使われる調度品です。博物館は、もともとは室内で風や視線を遮る可動式の仕切りとして使われたと説明しています。平らに開いた画像だけが、すべての鑑賞状態ではありません。
データベースも、季節の並びについて屏風の立て方との関係に触れています。現代の平面画像へ一列に並べたときの印象を、そのまま当初の見え方にしてよいとは限らないんだね。
本で図版を見るなら、全体図があるか、細部をどのくらい読めるか、位置表示と解説を行き来しやすいかが選ぶ手がかりになります。今回紹介する本は出版社がフルカラーで全容を紹介すると案内していますが、この記事では実物の全ページや文字の読みやすさを試していません。利用できる見本や図書館の実物も確かめて選んでね。
なぜ信長から謙信へ?美術品の贈答と、政治的な読み方をつなげよう
ここまで絵の中を見たら、もう一度、信長と謙信へ戻ります。
二人の名前が並ぶと、どうしても対立や合戦から考えたくなるかもしれません。でも、この作品の説明にあるのは、信長から謙信への贈答という関係です。
上杉博物館の所蔵品データベースは、武将同士の駆け引きの中で、この屏風が道具となった可能性に触れています。武田氏への対抗上、信長が謙信を警戒しながらも結び付きを求めていたのではないか、とし、贈答には政治的意図が強く含まれたと考えています。
だから、ただ美しい絵を届けた、という話だけでは終わらないんだね。
一方で、これを読んだからといって「信長はこの条件で同盟を約束した」「謙信はこの場で喜んだ」と、具体的な交渉や感情まで分かったわけではありません。今回の資料から、受け渡しの会話を再現することはしません。
贈られたと伝わること。政治的な背景の解釈。本人が何を話したか。この三つは別々です。
最初の注文主を義輝とする説明と、信長による贈答の政治的解釈も、一方があるから他方が不要という関係ではありません。作品が作られた場面と、次の持ち主へ渡る場面で、その意味が重なったり、変わったりし得るからです。ただ、その変化の中身は史料で確かめる必要があります。
歴史を読むときのメモには、「1574年・信長から謙信への贈答と伝来」「制作依頼は義輝とする市広報の説明」「贈答の政治的意図は博物館の考察」のように、何の話かも一緒に残してみてください。単語だけなら一行で済みそうですが、説明の確かさを混ぜずに見返せます。
絵の細かな人々の生活も、この政治の話に吸収して終わりにはしたくありません。博物館はおよそ2500人の人物が描かれると紹介し、出版社は紹介文で2485人と示しています。大きな政治の動きと同じ画面に、暮らす人の姿がたくさんある。そこを行き来できるところも、洛中洛外図の読みどころです。
たとえば本や公式解説を読むとき、まず贈った人と受け取った人を確認する。そのあと祭りや川での営みの説明へ進む。歴史上の有名人を探すことだけに絞らなくても、この作品から読む話は広がります。
「信長の贈り物」と覚えた入口を、その先の京都へつなげられる。屏風が残っているから、今もその問いを持てるんだね。
今見られるのは原本?複製?修理と展示、本での入口も分けよう
博物館で見たいと思ったら、「常設展示がある」から「いつでも原本が出ている」へは飛ばないでね。
上杉博物館は、常設展示室内の上杉文華館で、複製または原本を展示すると案内しています。原本の展示予定は別に示されているので、訪問日を決める際は、同館の最新案内を確認してください。この記事で常時原本が見られるとは約束しません。
米沢市の修理紹介では、1999年と2000年の大きな修理のあと、経年の傷みに対する再修理を行い、2025年12月に完了したとされています。絵具の盛り上がりや欠け止め、ひび割れの補修などが案内されています。
さらに、博物館の作品紹介には、修理後のお披露目展示を2026年4月18日から5月17日に行ったことが記されています。これは終了した展示の記録です。今から行ける催しの日時として案内するものではありません。
こうした手当てを知ると、「昔のものがそのまま置かれている」という見方が変わります。受け継がれた来歴と、残すための修理があって、私たちが見られる状態につながっているんだね。
家で本から入りたい人向けの候補は、河出書房新社の『図説〈上杉本〉洛中洛外図屏風を見る』。出版社案内では小澤弘・川嶋将生編、A5変形、132ページ、1994年刊、ISBN9784309724928です。
出版社は品切・重版未定と表示しており、今回確認した楽天の販売ページは中古本でした。新品をいつでも買えるという紹介にはしません。書き込み、図版の状態、価格、送料は出品ごとに確認してください。1994年の本なので、その後の修理や現在の展示情報を調べる先は、博物館や市の現行ページです。
この記事は本を全編読んだ書評ではなく、公開された公式解説と出版社の書誌を入口にした案内です。博物館の作品紹介、所蔵品データベース、2021年の広報21ページ、市の修理紹介、出版社の本の案内で確認できます。
最初は、信長から謙信への贈り物、という一行だった。そこへ注文主の説、京都の四季、屏風の数え方、修理の時間が加わりました。
次に図版を見るときは、十二の面を全部読み切ろうとしなくていいよ。左右を確かめ、気になった一場面を選んで、その説明を読んでみよう。信長の名前から入った先に、京都で暮らす人たちの姿も待っています。