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京都の寺を調べていて、「織田信長の菩提寺」と出てきたら。信長が生きていたころ、自分のために建てたお寺なのかな、と思うかもしれません。
大徳寺の総見院(そうけんいん)は、信長の死後、秀吉がその菩提を弔うために建立した寺です。菩提を弔うとは、亡くなった人を供養することです。
ゆかりの人物は信長。でも、建てた人を見ると秀吉が出てくる。この一段を分けると、本能寺の変の後にも続く歴史へ目が向きます。
信長の一周忌、1583年に建立された
公開を案内する京都春秋の沿革では、総見院は信長の一周忌に当たる天正11年、1583年に秀吉が建立したと説明されています。
総見院は大徳寺の境内にある寺です。行く予定を立てるなら、大徳寺という名前とセットで場所を確かめると探しやすくなります。
京都市公式の京都観光Naviも、秀吉が信長の追善菩提のために建立したと紹介しています。追善は、亡くなった人のために後から供養を行うことです。
「信長ゆかり」で一行にまとめず、誰が、誰のために、いつ建てたかを並べる。そうすると、信長本人の行動と、死後に秀吉が行ったことを混ぜずに見られますね。
木造の信長像は、高さ約115センチの坐像
本堂に安置されるのは、重要文化財の木造織田信長公坐像です。坐像は、座った姿を表した像のこと。
公式案内では、秀吉が奉納し、慶派の仏師、康清が作ったと説明されています。仏師は仏像などを作る職人で、慶派はその系統を示す呼び名です。
高さは約115センチで、等身大と紹介されています。長さのセンチメートルはcmとも表します。
ここ、等身大という言葉だけで、信長の身長が115cmだったと受け取らないようにしたいですね。示されているのは、座った姿の像の高さです。
当時の顔を知りたい気持ちもありますが、まずは、誰が死後の像を奉納したのか、どのような供養の場に置かれたのか。像の説明に戻ると、見るための問いが増えます。
寺の本で調べるときも、訪れる日の案内は別に確認
京都の寺と武将をつなげて読みたいなら、津田三郎『京都戦国武将の寺をゆく』があります。サンライズ出版の目次に、「織田信長と大徳寺総見院」が挙がっています。
本を識別する番号のISBNは9784883253203。2007年刊行の本なので、歴史を読む候補として見つつ、今の公開日や拝観条件は最新の案内で確かめましょう。
総見院は、いつでも通常公開されている寺ではありません。出かける前には、京都春秋の「拝観のご案内」で期間、休止日、受付時間を確かめてね。特別公開の期間中にも休止日があります。
まずは、信長の一周忌と、秀吉が建立したという二つをメモするところから。
信長の生涯を追っていたつもりが、その死を後の人がどう弔ったかへ続いていく。総見院は、そんな歴史の続きを考えながら知りたい場所です。