信長の京都馬揃えは何を見せた?馬と装い、入場の順番から『信長公記』を読み、合戦とは違う華やかな一日を一緒に楽しくのぞいてみよう!

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信長の話を読んでいたら、合戦の途中に「馬揃え」が出てくる。
馬を集めたの? それとも、出陣前の点検?

ところが記録をのぞくと、馬だけじゃない。衣装、馬具、見物の席、入ってくる順番まで書かれているんだ。
ええっ、そんなところまで!?

天正九年、一五八一年の京都馬揃えは、信長が武将たちや名馬を集め、天皇の前で披露した催し。『信長公記』では二月二十八日の出来事として記されている。この記事の歴史上の月日は、当時の暦の表記で読むよ。今のカレンダーの二月二十八日へ、そのまま置き換えないでね。

今日は「戦いで誰に勝ったか」を少し横へ置いて、見せる場所、並ぶ人、飾られた馬へ目を向けてみよう。

大がかりだった、で終わるにはもったいない! 誰が何を見せ、どんな言葉で記録されたのかが、読むほど気になってくる一日なんだよ。

ここでは公開されている史料の翻刻と、自治体・博物館の解説を手がかりに読みどころを紹介する。現代語訳の本を全ページ読んだ感想や、当日の光景を見た体験談ではありません。現代語訳を選ぶなら、太田牛一著、中川太古訳の『現代語訳 信長公記』も候補にできるよ。

目次

馬が走る前に、見せる場所が用意されている

まず、馬の速さへ行く前に、会場を見てみよう。
『信長公記』巻十四の京都馬揃えの記述には、内裏の東に南北へ延びる馬場を設けたこと、観覧のための場所を用意したことが出てくる。

馬を何頭集めたかだけを追っていると、この準備を読み飛ばしてしまいそうだよね。でも、見物する場所があるということは、走る側と見る側が分かれている。どちらの立場から読むかで、気になる物も変わる。

馬を連れてきた人の立場なら、馬場へどう入るか、誰と並ぶか。見る人の立場なら、どこに座り、どんな装いが目に入るか。まず二つを分けると、文章の中で人が動き始めるよ。

公開翻刻では、信長が本能寺から出て室町通を北へ進み、一条で東へ向かったことも記されている。ここは、出発した場所と馬場へ入るまでの動きを知る手がかり。

ただ、今の道路地図に一本線を引けば、当時の道や建物まで正確に再現できる、という話ではない。当時の場所の説明と現在の街並みは分けてね。今回は現地で歩く観光ルートを提案する記事ではなく、記録の中の移動を読む話です。

最初の読み方としては、人物名を覚える前に、次の三つを探してみて。
準備した場所。そこへ向かった人。見物する側。

この三つが見えれば、馬の列がいきなり空中に現れるような読み方から抜け出せる。文字が多くて少し疲れたら、舞台の配置だけ見る日があってもいいんだよ。

「広い馬場だったんだね」で止めず、「広く用意した場所へ、何を見せるために人を集めたんだろう」と、次の問いを一つ足してみよう。ここで答えを確定する必要はない。まず、会場づくりが催しの一部だったことを押さえよう。

場所の説明では、長さの単位や見物席の言葉が出てくる。現在のメートルへ換算した数字を覚えなくても、原文が馬場の方向や観覧の配置をわざわざ書いている点は分かる。最初から数字を全部埋めようとせず、どの向きに広げ、誰のために用意したかを読みたいね。

それに、記録が衣装だけでなく観覧側の華やかさにも触れる点を見てみて。馬に乗る人だけが、この日の見どころだったわけではない。見る側の装いも、同じ催しの中へ書き込まれているんだ。

ここで「楽しそう」と感じる入口はあっても、当日その場にいた全員が同じ気持ちだった、とは言えない。文章で紹介された光景と、参加者一人ひとりの内心を分けると、話を勝手に増やさずに読めるよ。

公開翻刻の該当箇所は『信長公記』の掲載本文で確認できる。巻十四の二月二十八日を探してね。これは掲載された翻刻であり、元の史料画像を全字校合したものとして扱わない。

古い言い回しで止まってしまうなら、楽天で『現代語訳 信長公記』を確認する。会場の説明から読む入口として、現代語訳を比較してみよう。

名前の行列は、覚えるより「まとまり」を見つけよう

次に、馬場へ入ってくる順番の記述。
ここで人名がずらーーーーっと出てくる。
うん、最初から全員暗記するのは、ちょっと待とう!

公開翻刻には、丹羽長秀に当たる名から始まる入場順があり、蜂屋、明智、村井らの名と、その後へ続く人々が記されている。織田一門、公家衆、馬廻など、名前の並びの中にまとまりも見える。

知らない名前があるたびに調べ始めると、どこを読んでいたか分からなくなるかもしれない。まずは人名一覧を埋めるより、集団の切れ目を見つけよう。知っている一人だけ拾って、前後にどんな人が並ぶかを見る方法でもいい。

たとえば、信忠の名が出てくるところと、公家衆の名が出てくるところ。読みながら「一門のまとまり」「公家のまとまり」と、短い言葉で置いてみる。これは読書の補助の提案であり、当時の正式な分類を新しく決めるものではないよ。

すると、馬の催しだから武将だけが登場すると思っていたところへ、公家の名前も入ってくる。
あ、顔ぶれが思っていたより広い!
そんな発見から先へ進めるんだね。

列の長さや順番には、何か意味がありそうだよね。ただし、入場が先だから、必ず家中で一番偉かった、と一本の順位表へ変えるのは急ぎすぎる。

記録が示すのは、この催しの入場の順番。それを職務上の地位や信長との親密さへ結び付けたいなら、別の資料や研究の説明も必要になる。見えた事実を一度そのまま置くことで、次に調べることもはっきりするよ。

人名は、官職や通称で記されている場合がある。同じ人物だとすぐに分からない表記へ出会ったら、訳書の注や索引があるかも見たいところ。使う版の案内を確認し、分からない名前は原文の表記と調べた名前を分けて残しておこう。

「分からない」ところへ、知っている武将を勝手に当てはめない。名前の似た人や、同じような官職名にひっぱられることもあるからね。ここは急がなくて大丈夫。

読むときに目へ入るもの まず分かること すぐ決めないこと
入場の順番 この催しでの並び方 家中の地位を全部表す順位
人名と集団名 どんな顔ぶれが記されたか 全参加者の気持ちや信長への評価
騎数の記述 その箇所に示された数 別の日も同じ数だったという推定
官職・通称 史料が使う人物の呼び方 似た表記の人物が同一という判断

この表を全部書き写す必要はないよ。気になる一行で「今見ているのは、当日の並びだ」と思い出せれば十分。名前が続く場面を、覚えられないから飛ばすだけで終わらせないための足場だね。

現代語訳の案内では、人名を分かりやすく示す工夫も説明されている。どの表記へ変えたかが気になったら、原文と照らす楽しみ方もできる。訳文だけで読み進める日と、名前一つを比べる日。行ったり来たりしていいよ。

入場の記録を読みたい人は、楽天で同じISBNの現代語訳を見る。織田信長の物語を楽しむだけでなく、名前の並びが何を示すか考える読書にもつなげられるね。

名馬と衣装は、飾りの話だけでは終わらない

さあ、ここから馬と装いへ!
馬の名に加えて、馬具や人の衣装まで細かく記されている。列を眺める目が、個々の飾りへ近づくところだね。

公開翻刻には、各地から名馬が献上されたことや、衣装・馬具の色、織物などへ言及する記述がある。馬だけを走らせた場面を想像していたら、人も馬も見せる姿を整えていたことに気づく。

もちろん、文章から実物の色合いや手触りまで復元したわけではないよ。ここで楽しみたいのは、記録する側がどんな細部へ目を向けたか。素材名が一つ出てきたら、その物そのものと、その物を記した理由を分けて考えてみよう。

細かな装具を全部覚えなくても、馬の能力だけではなく、見せる姿にも言葉が使われていることは分かる。そこへ目を向けると、馬揃えの記録が、単なる速度の記録ではないことが見えてくるね。

さらに、馬を贈った人との関係を読む手がかりもある。西尾市の織田信長書状の解説では、家康に宛てた手紙の前半に、馬揃えのために献上された鹿毛の馬への礼が述べられていると説明されている。

華やかな当日だけでなく、その前に馬を贈り、受け取った側が礼を伝えるやり取りがある。会場の名馬から、準備の人間関係へ話がつながるところだよ。

ただし、ここで注意したいのは、解説にある馬名と、今回見た公開翻刻の馬名・表記に違いがあること。異なる版の原本まで詳細に照合したわけではないため、この記事では一覧の何番目の馬が必ず同じ一頭だと断定しない。

「あれ、名前が一致しない」。そう気づいたら、どちらかを都合よく書き換えるより、使った資料を分けて残そう。史料を読むときの、次に確かめたい点として扱えばいい。細部が残っているからこそ、比べたくなるんだね。

この書状は、市の解説でも文面から天正九年のものと考えられる、とされている。紙に年号が明確に書かれていると自動的に受け取らず、年代の判断がどの説明に基づくかも読もう。書状の画像の全字をここで読解した、という意味ではありません。

それと、同じ手紙の後半には高天神城の戦局に関する内容があると説明されている。馬の礼だけの話では終わらないんだよ。

ここを読むと、馬揃えの華やかさを、当時の政治や戦いから完全に切り離すのも違うと分かる。けれど、その一通から信長と家康の関係を生涯ずっと同じだったと決めることもできない。取り上げられた時期と話題を守って読もうね。

国立歴史民俗博物館の過去の展示趣旨も、信長の馬揃いを武士の力を見せる行為として取り上げている。行列を、見せる側と見る側の関係から読む視点が示されているよ。

これは二〇一二年の展示の記録。今その企画を見に行けるという案内ではないし、展示された近世の行列をすべて信長の馬揃えと同じものにする説明でもない。参考にしたいのは、列や装いには人へ見せる働きがある、という見方です。

華やかさと、力を示す意味。どちらか一つで片づけず、記録の細部へ戻ってみよう。馬の贈り物、装い、顔ぶれと、入口がいくつもある。

詳しい記述へ進む候補として、楽天で太田牛一の現代語訳を探す。馬名の細部を比べたい人も、どの版を読んでいるか分かるよう、書名とISBNを合わせてね。

迫力のある言葉こそ、誰が書いたかと一緒に読もう

当日の記述には、立派な様子を強くたたえる言葉が続く。
読んでいると、文章の勢いにも引っぱられそうだよね。

ここは、その勢いを消して読む必要はない。でも、何を記した文で、何をたたえた文なのかを分けると、もう一段おもしろくなるよ。

開催の日、会場の説明、入場の顔ぶれ。こうした記述を探す読み方と、華やかさや喜びを伝える言葉へ注目する読み方は違う。後者を、全見物人の気持ちを正確に数えた調査結果へ変えることはできない。

『信長公記』を書いたのは、信長に仕えた太田牛一。信長の旧臣による記録をもとにした一代記として、KADOKAWAの書籍案内でも紹介されている。

その立場があるから、近いところから残された細部へ関心を持てる。一方で、近い立場の書き手がたたえる表現まで、立場のない透明な説明として読むわけにもいかない。

「褒めているから全部うそ」と切る必要もないよ。どの部分が具体的な記述で、どの部分が評価の言葉かを見る。信じるか信じないかの二択へ急がず、文章の役割を分けてみよう。

たとえば、読書の途中で心に残る表現があったら、まず自分のメモに「当日の説明」「書き手の評価」のどちらとして読んだか付けてみる。後から戻ったとき、印象の強い言葉だけで開催の事情まで決めてしまうのを避けられる。

また、公開翻刻の同じ箇所には三月五日の馬揃えも記されている。二月二十八日の記述と一つにつなぎ、人数や装いを混ぜないようにしよう。「京都の馬揃え」とまとめた説明を見たら、どの日の話か確かめたいね。

一回の催しとして覚えていたことに、別の日の記述が続く。
おっ、ここ、続きを読みたくなるところ!
日付に気を配るのは年号テストのためではなく、二つの場面を別々に味わうためでもあるんだよ。

本を選ぶときは、太田牛一の『信長公記』と、小瀬甫庵の『信長記』も混同しないでね。奈良女子大学の資料案内では、甫庵の作品は牛一の記録をもとにしつつ、潤色の加わった別作品として説明されている。

似た題名だから同じ内容の別版、とすぐ考えない。著者を一緒に見ると、選ぼうとしている本がどちらの作品に関わるか分かりやすいよ。古い書名の扱いも資料ごとにあるため、題名だけで判断しないのがよさそうだね。

今回の候補は、太田牛一著、中川太古訳、KADOKAWAの文庫、ISBN九七八四〇四六〇〇〇〇一九。価格や在庫は購入時点の案内を確認してね。ページ数は販売表示と出版社案内に差があるため、この記事では固定のページ数を選択の根拠にしない。

楽天で『現代語訳 信長公記』の販売内容を見る。同じ名前の本でも版や形式が違うことがあるので、選んだ商品が紙の本か電子版か、著者と訳者も合わせよう。

初めてなら、馬揃えの一日のうち、まず会場の説明か、知っている人物が出てくる箇所を読んでみて。全部の衣装用語を調べ終えてから楽しむ必要はないよ。

次は馬の贈り物が気になるかもしれない。入場の顔ぶれへ戻りたくなるかもしれない。そんなふうに関心が動けば、信長の話は合戦の勝敗だけでは終わらなくなる。

馬が走る前の準備も、走る姿を見せる装いも、記録した人の言葉も。気になった一つから、華やかな一日をもう少しのぞいてみようね!

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この記事を書いた人

織田信長の生涯、人物像、ゆかりの地を、史料や諸説に目を向けながらたどります。

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