清須城と清洲城、どう書き分ける?市の展示ルールから信長の城を見よう

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信長の城を調べていると「清須城」。行ってみようと施設を探すと「清洲城」。どちらも「きよす」だけれど、最後の一字が違う。誤字なのかな? と気にならない?

清須市の案内によると、歴史的な文献には「清須」「清洲」の両方の表記があります。現在の施設の固有名は「清洲城」です。

そのうえで、市の展示では時代による書き分けをしています。どちらか一方だけを正解にする前に、何についての名前かを見てみよう。

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市の展示では、1610年が表記の一つの区切り

清須市の清洲城の案内は、慶長15年、1610年の清須越(きよすごし)を境に、以前の城などを「清須」「清須城」、それ以降の宿や町の名前を「清洲」と表記すると説明しています。

清須越は、ここでは清須の城下町を名古屋へ移すことを指します。市の展示の中で、時代を読む手がかりとして書き分けているんだね。

市の案内での対象 使っている表記
清須越以前の城など 清須・清須城
清須越以降の宿名や町名 清洲
現在の施設の固有名 清洲城

この区切りを、あらゆる古文書や書籍の表記の決まりに広げないでください。市自身が、文献には両方の記載があると説明しています。資料を読むときは、その資料の表記と扱う時代を確認しよう。

信長の城の話と、今見学できる建物の話をつなげる

市の歴史解説では、信長は1555年に那古野城から清須城へ入ったと紹介されています。那古野城は「なごやじょう」。後に家康が築いた名古屋城と、そのまま同じ城として読まないでね。

一方、現在の清洲城の施設は、平成元年、1989年に現在の場所へ再建整備されたと案内されています。信長の時代の天主閣が、そのまま今も残っているという説明ではありません。

今の天主閣の展示には、清須の成り立ち、戦国時代の城と城下町、信長らと清須の関係などがあります。建物を訪ねる前に、この名前と時代の区切りを知っておくと、何の説明を読んでいるかをつなげやすいよ。

城の歴史を本でもう少し読みたいなら、千田嘉博著、岩波新書『信長の城』が候補です。出版社提供の公開目次は、第一章に「清須城―織田家ゆかりの城」を載せています。

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本は2013年刊。現在の見学条件まで、出版時の情報をそのまま当てはめないでね。城に行く予定を決めるときは、市の最新案内で展示や開館情報を確認しよう。

次に二つの表記を見つけたら、「信長の時代の城の話かな、今の施設名かな」と一度立ち止まってみよう。字の違いをきっかけに、読んでいる時代も確かめられます。

参照:清須市、岩波書店提供の書誌・目次、楽天市場bookfan。2026年10月21日確認。

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この記事を書いた人

織田信長の生涯、人物像、ゆかりの地を、史料や諸説に目を向けながらたどります。

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